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2024/05/06 12:20 |
なんで山に登るの?

俺が数々もってる趣味の中で「それの何が楽しいの?」と言われやすいものNo.2は登山です。ちなみにNo.1はトライアスロンです。確かに意味分からんよね。

山登りの雑誌も多く出てきたし、登山と言う趣味は世間一般的にも浸透してきたと思います。
が、やはり理解はしても、やるとなると「なんで?」となるでしょうね。
俺も自分がやってなかったら、そう感じると思います。

そう聞かれる度、真面目に話すと長くなるし引かれるし面倒なので
・孤独を愛しているから
・景色が綺麗だから
・そこに山があるから
ぐらいの模範解答を、ローテーションで回しているのが現状です。

そもそも俺自身も、何故登山が好きかなんて、よく分かってないです。
ン十年と続けていると、色々気付く事もあるし、山に行く理由も変わってきますし、自分自身の心境や環境の変化によっても、その答えは変わってきますしね。
でもここ数年で、ようやくブレずに「これかな?」と思える程度の理由を思いつきましたんで、ご紹介したいと思います。

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その日。
俺は絶壁に張り付いたまま、小刻みに震えていた。
そうなった経緯を要約すると、
「一人で山深くの誰も来ない岩場でクライミングの練習してたら降りるための道具を落とした」
という愉快な状況です。
地上30メートル。頭上には大きな岩の出っ張り。登りきるにはこれを超えて、さらに10メートルは登らないといけない。命綱なしで。
本来なら諦めてクライミングを中止して、ロープ+道具を使って降りるんですが、その道具は俺の不注意で、崖下に落としました。テヘ。
立ってる場所は、ギリギリ片方のつま先が置ける程度しかなく。
岩につかまってる両手は、とっくにパンパンで限界近い。

この時、俺は多分生まれて初めて「本当に死ぬかもしれない」と感じました。
映画でも小説でも、主人公のピンチに自分を重ねて、ハラハラする事はありましたけど、そんなものとは種類が違いました。
骨の髄まで染み渡るような、凄まじいまでの恐怖と、それによって思うように動かない体。

そんな中、ありとあらゆる事を考えてました。
もちろん、何とかして生還する方法を考えるのがメインでしたが、その中の一部は、割と達観してました。

ふと冷静に周りを見ると、小春日和のうららかな午後。
鳥の声と川のせせらぎが絶え間なく聞こえていて、少し強めの風も吹いている。
仮に俺がここで落ちて死んでも、鳥の声は止まないし、川の流れも変わらない。もちろん風の流れも変わらないし、地球は回るし明日も晴れる。
俺が死ぬ事は、俺にとっては大事件だけど、風の流れひとつ変える事も無い、ちっぽけな出来事なんだなぁ。今この瞬間にも、様々な理由で命を落とす人がいて、俺がその中の一人に加わったとしても、それはそれでしょうがないのかもしれない。
次の瞬間に死ぬかもしれない状況の中、どこか冷静に、そんな事を思ってました。

この経験を経てから、日々生きていく中で色々とこだわってしまう事が、意味の無い事に思えるようになりました。
仕事も、家族も、お金も、健康も、人間関係も。
よく考えたら、そんなにこだわる必要無いし、必死に守る必要があるものでもないかもしれない。

日々を下界で忙しく生きていると、ついつい視野が狭くなって、変なことにこだわってしまったりするけども、山に来たならあら不思議。
山はでっかくて、自然は強く、人は弱い。
自分がいかに小さな存在であるかという事を、再確認できて、こだわりをリセットできます。
その為に山に行きたいってのが、一番の理由、かもしれません。

まとめると、なんで登山?の回答は
「自分の小ささを再確認するため(ドャァ)」
となります。

ただ、ものすごく言葉足らずですし、普通に引かれるので、やっぱ「そこに山があるから」とでも言うとくのが正解ですね。

2018/12/17 12:18 | Comments(0) | 登山

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