FF9を1年かけて、ようやく最後のボスまでたどり着きました。
わりとゲームは好きです。
将来の夢は、ニートになって一日中ゲームやって、やり込みすぎてオンライン上で「神」とか呼ばれたりする事です。
子供の頃は何時間でもぶっとおしでゲームやってられたんですが、さすがにこの歳になると集中力が続きません。というより、こんな事やってる場合ではない、という強迫観念にかられ、続けられんくなります。
知らない人のために説明しておくと、FFってのは、故スクウェア社のファイナルファンタジーという有名なゲームのシリーズです。たしか6ぐらいまではリアルタイムにやったと思うんですが、そこから先はもう大学生になってたので、やってませんでした。
最近はPS3で、昔のゲームを安価で楽しむことが出来る機能がありますので、それでFF9をやりました。7と8はなんか評判が悪かったのでスルーです。どうせ続き物じゃないし。
それでFF9やってきたんですが。
なんて言うか、さすがに子供向けに作られているものとあって、あまりにも「アホかこいつら」と思うことが、頻繁に起きるんですよね。
例えば主人公が、実は世界を滅ぼしかねない存在であると気づかされてしまいましてね。その後彼は、わざと仲間を邪険に扱って、無理矢理に距離をとろうとするんですけど、仲間はそれでも彼を見捨てず、最終的には和解するんですが。
子供の頃には感動したそういった演出が、すっかり黒くなってしまった今の俺には、噴飯モノの演出に見えてしまうんです。
思えば俺も黒くなったもんだ。
子供の頃は、そんな事無かったんです。
ゲームで初めて泣いたのは、同じFFシリーズの4ぐらいで、主人公たちが無謀な戦いに挑む際に、遠く離れた仲間達が生還を祈ってくれる、みたいなシーンでした。
今だったら多分、同じように「アホか以下略」とか思ってしまうと思うんですが、これってよくよく考えたら凄い事ですよね。
だって、ゲームを作っているのは、もれなく大人じゃないですか。
その大人が、子供をターゲットにして、感動する話を作るってのは、なかなか難しいと思うんです。
多分、大人を感動させるってのは、それほど難しいことじゃないと思うんです。自分が感動することを、話にすればいいだけですからね。
例えば、病気の恋人と精一杯愛し合う人生とか。母親の無償の愛をテーマにするとか。ハンデを抱えた男が記録を樹立するとか。そういった王道を並べておけば、まぁ多分どれかには引っかかって、全米が泣いたとか列島が震撼したとかいう残念なキャッチをつけてもらえると思うんです。
でも、誰しも昔は子供だったとは言え、子供向けに感動させる話を作るのは、なかなか難しいと思うんです。ちなみに泣ける絵本マニアの俺が、最近いいなと思ったのは「どうぞのいす (ひさかた絵本傑作集) 」。
絵も可愛いけど、特筆すべきはストーリー。児童向け絵本の王道でありながら、今まで出てこなかったのが不思議なくらい単純なストーリー。だがそれがいい。
ちなみに、俺が初めて文章で泣いたのは、小学1年生とかいう雑誌の話でした。
話の大筋としては、仲間がひとり帽子をかぶらなかったので熱射病になったけど、水をぶっかけたら回復して、よかったね、帽子はちゃんと被ろうね、という話でした。
黒魔法使いの現在の俺としては、これのどこに感動する要素があるのか自分でも理解に苦しむのですが、多分、熱射病でぶっ倒れた奴が仲間のお陰で生還した、という所に涙したんだと思います。
俺は、当時はまだ、おかんと同じ布団に寝てまして。寝る前に読んだそれに泣いてたんですが、「男は泣くな」と常日頃から言われていたので、必死に泣いていることを隠していたんです。が、即バレまして。
俺が文章に泣いていることに気づいたおかんが
「話に感動して泣くことは良い事だから、思いっきり泣いていい」
とか言いましてね。
あ、そーなんだ。泣いていいんだ。
そう子供心に理解し、それが焼きついてしまいましてね。
そのせいですよ。俺がアホみたいに涙腺ゆるいのは。俺は悪くない。
デートで映画アルマゲドン観て、号泣した俺に素の彼女がハンカチ貸してくれたのとかも、その後「感動のハードルが低すぎてキモい」ってフラれたのとかも、全部おかんのせい。
最近ですよ。DVDの予告編でいちいち泣くのは普通じゃないんだと気づいたのは。いやいや泣くでしょ。メルギブソンのハチ公物語で、「もうお前の主人は戻ってこないんだよ」とか駅の人がハチに言ってる5秒ぐらいのシーンで号泣余裕でした。
大人の心をつかむのも、実は難しいのかもしれない。
俺が特別簡単なだけですかそうですか。
わりとゲームは好きです。
将来の夢は、ニートになって一日中ゲームやって、やり込みすぎてオンライン上で「神」とか呼ばれたりする事です。
子供の頃は何時間でもぶっとおしでゲームやってられたんですが、さすがにこの歳になると集中力が続きません。というより、こんな事やってる場合ではない、という強迫観念にかられ、続けられんくなります。
知らない人のために説明しておくと、FFってのは、故スクウェア社のファイナルファンタジーという有名なゲームのシリーズです。たしか6ぐらいまではリアルタイムにやったと思うんですが、そこから先はもう大学生になってたので、やってませんでした。
最近はPS3で、昔のゲームを安価で楽しむことが出来る機能がありますので、それでFF9をやりました。7と8はなんか評判が悪かったのでスルーです。どうせ続き物じゃないし。
それでFF9やってきたんですが。
なんて言うか、さすがに子供向けに作られているものとあって、あまりにも「アホかこいつら」と思うことが、頻繁に起きるんですよね。
例えば主人公が、実は世界を滅ぼしかねない存在であると気づかされてしまいましてね。その後彼は、わざと仲間を邪険に扱って、無理矢理に距離をとろうとするんですけど、仲間はそれでも彼を見捨てず、最終的には和解するんですが。
子供の頃には感動したそういった演出が、すっかり黒くなってしまった今の俺には、噴飯モノの演出に見えてしまうんです。
思えば俺も黒くなったもんだ。
子供の頃は、そんな事無かったんです。
ゲームで初めて泣いたのは、同じFFシリーズの4ぐらいで、主人公たちが無謀な戦いに挑む際に、遠く離れた仲間達が生還を祈ってくれる、みたいなシーンでした。
今だったら多分、同じように「アホか以下略」とか思ってしまうと思うんですが、これってよくよく考えたら凄い事ですよね。
だって、ゲームを作っているのは、もれなく大人じゃないですか。
その大人が、子供をターゲットにして、感動する話を作るってのは、なかなか難しいと思うんです。
多分、大人を感動させるってのは、それほど難しいことじゃないと思うんです。自分が感動することを、話にすればいいだけですからね。
例えば、病気の恋人と精一杯愛し合う人生とか。母親の無償の愛をテーマにするとか。ハンデを抱えた男が記録を樹立するとか。そういった王道を並べておけば、まぁ多分どれかには引っかかって、全米が泣いたとか列島が震撼したとかいう残念なキャッチをつけてもらえると思うんです。
でも、誰しも昔は子供だったとは言え、子供向けに感動させる話を作るのは、なかなか難しいと思うんです。ちなみに泣ける絵本マニアの俺が、最近いいなと思ったのは「どうぞのいす (ひさかた絵本傑作集) 」。
絵も可愛いけど、特筆すべきはストーリー。児童向け絵本の王道でありながら、今まで出てこなかったのが不思議なくらい単純なストーリー。だがそれがいい。
ちなみに、俺が初めて文章で泣いたのは、小学1年生とかいう雑誌の話でした。
話の大筋としては、仲間がひとり帽子をかぶらなかったので熱射病になったけど、水をぶっかけたら回復して、よかったね、帽子はちゃんと被ろうね、という話でした。
黒魔法使いの現在の俺としては、これのどこに感動する要素があるのか自分でも理解に苦しむのですが、多分、熱射病でぶっ倒れた奴が仲間のお陰で生還した、という所に涙したんだと思います。
俺は、当時はまだ、おかんと同じ布団に寝てまして。寝る前に読んだそれに泣いてたんですが、「男は泣くな」と常日頃から言われていたので、必死に泣いていることを隠していたんです。が、即バレまして。
俺が文章に泣いていることに気づいたおかんが
「話に感動して泣くことは良い事だから、思いっきり泣いていい」
とか言いましてね。
あ、そーなんだ。泣いていいんだ。
そう子供心に理解し、それが焼きついてしまいましてね。
そのせいですよ。俺がアホみたいに涙腺ゆるいのは。俺は悪くない。
デートで映画アルマゲドン観て、号泣した俺に素の彼女がハンカチ貸してくれたのとかも、その後「感動のハードルが低すぎてキモい」ってフラれたのとかも、全部おかんのせい。
最近ですよ。DVDの予告編でいちいち泣くのは普通じゃないんだと気づいたのは。いやいや泣くでしょ。メルギブソンのハチ公物語で、「もうお前の主人は戻ってこないんだよ」とか駅の人がハチに言ってる5秒ぐらいのシーンで号泣余裕でした。
大人の心をつかむのも、実は難しいのかもしれない。
俺が特別簡単なだけですかそうですか。