子供の頃、進研ゼミやってました。
最初の頃こそ真面目に課題にも取り組んで、割と楽しく学習できましたし、成績も上がりました。
が、中学生に上がった頃から教材の内容が一変し、びっくりするほどつまんなくなり、一気にモチベーションが低下。
段々と課題が滞りがちになり、前月号に全く手を付けないまま新号が届く事も増えてゆき、それを見るたびに絶望感に苛まれるけど何もしないという、わりと一般的な挫折ルートをたどり、最終的に破綻したわけですが。
進研ゼミの教材は、ドリルとお楽しみ付録みたいなものが合わさったようなものでしたが、それとは別に、「どんな質問にも赤ペン先生が答えちゃいます!」的なコンプセントで、赤ペン先生と直に手紙のやり取りをすることが出来る、というものもありました。
今思えば、あれはきっと教材の内容とか、分からない問題なんかについての質問が来ることを想定したものだったんだろうと思いますが、今ですら読めない空気が、小学生の俺に読めるはずがありません。
普通に「お小遣いが少なすぎて、友達にハブられます」みたいな深刻な悩みを相談したりしてた。
それでも赤ペン先生は、決して子供向けのおざなりな回答ではなく、真摯な返事をくれてました。
その頃から既に友達が少なかった俺は、赤ペン先生との文通だけが、心の拠り所でした。
送った手紙の内容は、もうほとんど忘れてしまったけど、ひとつだけ忘れられない内容があります。
あれから25年ぐらい経ってますが、未だに覚えてます。
俺の質問は、こうでした。
「将来バスケット選手になりたいのですが、どうしたらいいですか」
この頃は、まだスラムダンク時代を迎えておらず、バスケットの人気はそれほど高くありませんでした。
バスケットなんて体育で嫌々やったことがあるだけで、ちょっと前まで特別興味も無かった俺が、何故こんな事を言い出したのか。その理由は単純明快。
姉貴が
「バスケはモテる」
と教えてくれたからです。
そんな、恐ろしく信憑性の低い情報を鵜呑みにした挙句、いきなりプロを目指すという俺の残念な思考ルーチンは、今もわりと変わってません。
バスケのプロになると決めたはいいが、その方法が分からなかったので、唯一友好関係(契約によるもの)のある赤ペン先生に質問したわけです。
程なくして、赤ペン先生から返事が来ました。
そこには様々なことが書かれていました。
トレーニングに対するアドバイス、背を伸ばす為の栄養学、成り上がっていく方法...などなど。
そして最後に
「プロになるのは簡単ではありませんが、今から頑張ればきっと夢は叶います」
とか書かれていて、わりと感動した。
その言葉も素晴らしいのですが、更に秀逸なのがトレーニング方法で、リバウンド練習中心のメニューが組まれていました。
リバウンドっていうのは、シューストミスしたボールを取る技術なんだけど、普通はあまり重要視されない技術です。
特に小学生なんかは、
「ミスしたボール拾いとか(笑)シュート決めなきゃ点とれないだろ常識的に考えて」
ってな思考回路ですから、リバウンドの重要性なんか、全く気づいてませんでした。
半信半疑ながら、唯一の友達(金で結んだ契約によるもの)である赤ペン先生の言うことなら間違いなかろうと、書かれた通りに毎日毎日練習しました。
シュートを打ったら、必ずゴール下に駆け込む。
ボールを拾いやすいポジションを確保する為に、腰を低くし、相手を背中で外に押し出す。
相手を跳ばさず、かつ自分は跳びやすいように、相手の腰を自分の腰で上から押さえつける。
いわゆるスクリーンアウトという技術ですが、これらの練習にばかり取り組んでいました。
そのかいあって、ゴール下では割と強さを発揮していました。
だけど、シュートは壊滅的にヘタ。練習しないんで当然といえば当然なんですが、ロボピッチャ以下のシュート力でした。
ゴール下からのシュートですらままならないので、リバウンドを取ったらもれなく味方にパスしてました。
味方がシュートする→外す→俺が拾う→味方にパスする→先頭に戻る(5回繰り返し)
みたいな事も何度もあり、外しすぎて嫌になった味方から「もうお前が打てよ..」と言われることもしばしばでした。
ですが、そんな事を続けているうちに、自分で点を取るよりも、味方に点を取らせる方が楽しくなってきましてね。
それからは、アシストに徹するようになりました。
表舞台よりも、裏方作業の方が好きな性格は、この頃形成されたのではないかと思います。
この性格の大元をたどれば、赤ペン先生の手紙に行き着くのかもしれません。
残念ながらプロにはなれなかったし、点をとれない地味な俺はさっぱりモテなかったけど、わりと好きな自分になることが出来ました。
赤ペン先生方、ありがとうございました。
最初の頃こそ真面目に課題にも取り組んで、割と楽しく学習できましたし、成績も上がりました。
が、中学生に上がった頃から教材の内容が一変し、びっくりするほどつまんなくなり、一気にモチベーションが低下。
段々と課題が滞りがちになり、前月号に全く手を付けないまま新号が届く事も増えてゆき、それを見るたびに絶望感に苛まれるけど何もしないという、わりと一般的な挫折ルートをたどり、最終的に破綻したわけですが。
進研ゼミの教材は、ドリルとお楽しみ付録みたいなものが合わさったようなものでしたが、それとは別に、「どんな質問にも赤ペン先生が答えちゃいます!」的なコンプセントで、赤ペン先生と直に手紙のやり取りをすることが出来る、というものもありました。
今思えば、あれはきっと教材の内容とか、分からない問題なんかについての質問が来ることを想定したものだったんだろうと思いますが、今ですら読めない空気が、小学生の俺に読めるはずがありません。
普通に「お小遣いが少なすぎて、友達にハブられます」みたいな深刻な悩みを相談したりしてた。
それでも赤ペン先生は、決して子供向けのおざなりな回答ではなく、真摯な返事をくれてました。
その頃から既に友達が少なかった俺は、赤ペン先生との文通だけが、心の拠り所でした。
送った手紙の内容は、もうほとんど忘れてしまったけど、ひとつだけ忘れられない内容があります。
あれから25年ぐらい経ってますが、未だに覚えてます。
俺の質問は、こうでした。
「将来バスケット選手になりたいのですが、どうしたらいいですか」
この頃は、まだスラムダンク時代を迎えておらず、バスケットの人気はそれほど高くありませんでした。
バスケットなんて体育で嫌々やったことがあるだけで、ちょっと前まで特別興味も無かった俺が、何故こんな事を言い出したのか。その理由は単純明快。
姉貴が
「バスケはモテる」
と教えてくれたからです。
そんな、恐ろしく信憑性の低い情報を鵜呑みにした挙句、いきなりプロを目指すという俺の残念な思考ルーチンは、今もわりと変わってません。
バスケのプロになると決めたはいいが、その方法が分からなかったので、唯一友好関係(契約によるもの)のある赤ペン先生に質問したわけです。
程なくして、赤ペン先生から返事が来ました。
そこには様々なことが書かれていました。
トレーニングに対するアドバイス、背を伸ばす為の栄養学、成り上がっていく方法...などなど。
そして最後に
「プロになるのは簡単ではありませんが、今から頑張ればきっと夢は叶います」
とか書かれていて、わりと感動した。
その言葉も素晴らしいのですが、更に秀逸なのがトレーニング方法で、リバウンド練習中心のメニューが組まれていました。
リバウンドっていうのは、シューストミスしたボールを取る技術なんだけど、普通はあまり重要視されない技術です。
特に小学生なんかは、
「ミスしたボール拾いとか(笑)シュート決めなきゃ点とれないだろ常識的に考えて」
ってな思考回路ですから、リバウンドの重要性なんか、全く気づいてませんでした。
半信半疑ながら、唯一の友達(金で結んだ契約によるもの)である赤ペン先生の言うことなら間違いなかろうと、書かれた通りに毎日毎日練習しました。
シュートを打ったら、必ずゴール下に駆け込む。
ボールを拾いやすいポジションを確保する為に、腰を低くし、相手を背中で外に押し出す。
相手を跳ばさず、かつ自分は跳びやすいように、相手の腰を自分の腰で上から押さえつける。
いわゆるスクリーンアウトという技術ですが、これらの練習にばかり取り組んでいました。
そのかいあって、ゴール下では割と強さを発揮していました。
だけど、シュートは壊滅的にヘタ。練習しないんで当然といえば当然なんですが、ロボピッチャ以下のシュート力でした。
ゴール下からのシュートですらままならないので、リバウンドを取ったらもれなく味方にパスしてました。
味方がシュートする→外す→俺が拾う→味方にパスする→先頭に戻る(5回繰り返し)
みたいな事も何度もあり、外しすぎて嫌になった味方から「もうお前が打てよ..」と言われることもしばしばでした。
ですが、そんな事を続けているうちに、自分で点を取るよりも、味方に点を取らせる方が楽しくなってきましてね。
それからは、アシストに徹するようになりました。
表舞台よりも、裏方作業の方が好きな性格は、この頃形成されたのではないかと思います。
この性格の大元をたどれば、赤ペン先生の手紙に行き着くのかもしれません。
残念ながらプロにはなれなかったし、点をとれない地味な俺はさっぱりモテなかったけど、わりと好きな自分になることが出来ました。
赤ペン先生方、ありがとうございました。